誰もが安全・快適に利用できる公園をめざして では、みなとみらい地区に点在する各公園はどうだろうか。 まずは海に面して続く「臨港パーク」や「カップヌードルミュージアムパーク」「赤レンガパーク」などの管理を行っている、横浜市港湾局みなと賑わい振興部で、その実態をお伺いすることができた。, 出迎えてくださったのは、賑わい振興課長の鈴木明広(すずき・あきひろ)さん(残念ながら顔写真はNG)。開口一番、まず鈴木さんから言われたのが「私どもが管理している公園では、すべてスケボーは危険行為として禁止しております」との言葉。, しかし、それでも「やはり海を望む景観が人気なのか、公園内でスケボーに乗っている人がいると、ほかの利用者からの通報もたびたび寄せられる」と話す鈴木さん。特に「走行時や、ジャンプ時の音がうるさいという声が多いですね」という。, 港湾局で管理する公園の中でも、最もスケボー違反者が多いのが「カップヌードルミュージアムパーク」だという。舗装された広い歩道があり、海に沿って長い階段が配置されているなど、スケートボーダーにとっては最高のロケーションなのだろう。, カップヌードルミュージアムパークはこちら   海沿いに長い階段が続くカップヌードルミュージアムパーク, 「以前は、公園内に危険行為禁止という看板しか出していませんでした。その危険行為の中にスケボーも入っていたわけですが、実際に公園内でスケボーに乗っていた人に話を聞くと“禁止だとは知らなかった・・・”と言われてしまう。そのため、今は、はっきりとスケートボード禁止と掲示するようになりました」と話す鈴木さん。, また、スケボーを含め、自転車の乗り入れや、ノーリードでの犬の散歩といった「危険行為」がないか、毎日、警備員や職員が公園内を巡回(時には警察官を伴うことも)。 鈴木さんいわく「巡回の回数も以前より増えている」という。ここでは詳しい回数・巡回時間は伏せるが・・・結構な労力だ。 「公園管理側としては施設を壊されてしまうことも辛いです。レンガのベンチを壊されたり、ワックスがついて施設の一部が真っ黒に変色してしまったり――。それらを修繕するにも、かなりの費用が掛かりますので」と悲しそうに話す鈴木さん。詳細な金額などは教えていただけなかったが大きな負担が生じるようだ。, 「巡回中にスケボーに乗っている人がいれば厳重に注意し、もし、その方が施設を壊したとハッキリ分かれば、もちろん弁償もしていただきます。でも、24時間ずっと広い園内を見張り続けるのは現実的に難しい。やはり自衛策が中心となってしまうのです」という。 「カップヌードルミュージアムパーク」でも、違反者が続出していた階段部分にプランターを設置。それによってスケボーに関する苦情も注意も大幅に減ったのだとか。, 最後に「先にもお伝えしましたが、私どもで管理している公園でのスケボーは一切禁止です。そう告知はしていても、利用者も多く、一人に注意しても、また別の方が来てスケボーに乗っているというケースも少なくありません。皆さんに安心して公園を使っていくためには、根気強く伝えていくしかないと思っています」と語った鈴木さん。 しばらくは「監視」と「注意」、そして「自己防衛」を続けることになりそうだ。 みなとみらいに「スケボー・パーク」は作れないの? 注意しても注意してもスケートボーダーが集まってくるみなとみらい。 それならば、いっそのこと、みなとみらいに「スケボー・パーク」を作ることはできないのだろうか。そのあたりの疑問も含め、お話をお伺いすることにした。 お時間をいただいたのは、横浜市環境創造局公園緑地部南部公園緑地事務所都心部公園担当、担当係長の高村暁子(たかむら・あきこ)さん。, こちらの部署でも、やはり管理している公園でのスケボー対策には「頭を悩ませている」という。特にマリノスタウンに隣接する「高島水際線公園(たかしますいさいせんこうえん)」での被害は深刻だ。, ここに「高島水際線公園」が   帷子川沿いに広々とした歩道が敷かれた「高島水際線公園」, 「みなとみらい地区は街全体が新しく、バリアフリー化も進んでいます。そのため舗道は平らで歩きやすく、また広く設計されているため、スケボーをしやすいのかもしれません」と話す高村さん。ただし「ここで管理している公園でも、スケボーは一切禁止となっている」という。 「一番の問題は、やはりほかの公園利用者様にとって危険だということ、また、周辺の住民の方々からの騒音に対する苦情も多く、容認するのは難しいのが現状です」, 高島水際線公園では、毎日、早朝から深夜まで8回の巡回を実施しており、見つけた場合は注意している。また、住民や利用者からの通報があれば、警備員や担当職員が現地へ向かい、口頭で注意し、撤収してもらっているという。, それでも「公園内でスケボーをする人はいなくならない」という高村さん。「今は禁止行為であることをきちんと掲示する、また、園内でスケボーを“させない”ように自衛するなど、やれる範囲での対策を行っています」 その自衛策のひとつとして、高島水際線公園では違反者が絶えなかった「潮入の池」横の階段テラスにわざと切れ込みを入れ、スケボーができないようにしたという。, スケボーで削られ、ボロボロになってしまった階段テラス   角にわざと切り込みを入れ、スケボーができないよう加工した, その時の決断について高村さんは「本当に切なかったです。加工してしまったら、もう元に戻すことはできないわけですから・・・」と残念そうに振り返る。 でも・・・本当にここまでするしかなかったのだろうか。 一部の違反者ために、ほかの利用者に負担をかけたくない その疑問をぶつけた筆者に、高村さんも「この公園に限らず、違反者の多い夜間は公園を施錠すべき、とか、どこか別の場所にスケボー専用のスペースを作るべきといった声があるのは理解している」と話す。そして「でも、それを実現するのはとても難しい・・・」とも。, 「やはり公園は24時間365日、誰でも使えるようにしたい」と話す高村さん。「夜間や早朝しか公園を利用できない人もいますし、健康づくり推進という面でも、公園利用時間に制限をかけるのは望ましくないと思います」という。 では、スケボーの専用パークを作ることはできないのだろうか。, 筆者のこの質問に対して、高村さんは「私どもが今、管理している範囲では難しい」と答える。「最大の問題はやはりスケボーの“音”です。高層ビルが立ち並ぶみなとみらい地区の場合、どこにパークを作っても騒音の発生源となってしまいます。ここでは迷惑だから別のところで、と言われても、その別のところが見つからないのです」, 「でも・・・」と、高村さんは続ける。「2010(平成22)年6月に、新横浜にスケートボードの専用パーク(新横浜公園内のスケート広場)がオープンしたのも、みなさんからの要望の高まりによるものだと思うんですね。ですから、そういったニーズがさらに高まれば、公園に限らず新たなスポットが誕生する可能性はあると思います」と話す。 その場所がみなとみらいになる可能性は現状ではかなり厳しい。ただ、一つずつスケートボード専用コースが増えていけば、スケートボーダーたちの「やる場所がない」という不満・悩みの解消につながるのではないだろうか。 取材を終えて 正直、みなとみらいでのスケボー問題がこんなに深刻で、それを解決することがこんなに難しいものだとは思わなかった。 話を聞く限り、行政は(それでも不満を感じる人も多いだろうが)、できる範囲での努力をしていると感じたし、これ以上の取締りを警察や行政に求めるのであれば、法律から変えないとダメだとも感じた。それはかなり時間もかかるし、簡単なことではない。 そして、一部のマナー違反者のせいで、すっかり「迷惑」「マナーが悪い」というイメージが定着しており、純粋にスポーツとしてスケボーに取り組んでいる人たちには本当に気の毒な環境になってしまっているとも感じる。 この問題はいろんな角度から検証していったほうがいいのかもしれないな・・・とも感じた。機会があれば、ぜひ引き続き調査してみたい。   -終わり―, 新横浜公園スケボー広場の利用者と思われる方々が新横浜周辺の歩道を我が物顔で滑っている姿をよく見かけます。夜間スケボーの音が響いて五月蠅いです。新横浜のビルテナント前で酒盛りして仲間とキズナを深めるのは結構ですが、吸殻・ゴミを片付けて帰ってください。許可された専用の場所で思う存分滑れば良いと考えていましたが、歩行者への安全配慮も顧みない・マナーも守れない方のために貴重な公共の場を無料提供する必要はないと考えるようになりました。せっかく、オリンピックの正式種目になったのにこんなことで反対勢力を作ったら損ですよスケーターの皆さん, 公園内でスケボーしてると音がうるさいのですぐ分かります。子供連れの人は特に怖いと思うでしょう。また、公共の建造物を傷めたら器物損壊だから弁償すべきだと思います。トラックが多く通る道路のそばにスケボー専用道路を併設してみたらどうなのかな?, ↓「スケボーはワックス使いません」検索すればすぐバレる嘘をついてまで擁護する神経が理解できない。, あなたの人生を手厚く支える最適な保険を提案。100年先も愛される保険代理店をめざす「株式会社仲亀」, 賃貸でもこだわりのマイホームを実現! みなとみらい21地区の再開発は、足かけ36年におよび現在も進行中(gandhi / PIXTA) 「平成バブル崩壊後、開発が停滞した。 2000年代後半は公募をかけても手を挙げる会社があまりなかった」と振り返るのは、横浜市都市整備局みなとみらい21推進課長の遠藤拓也氏だ。 『中古マンション 本当にかしこい買い方・選び方』 理想の相手を“きちんと”見つけたい人必読! みなとみらい地区は、「そごう横浜店」や「スカイビル」のある横浜駅東口(西区)から、「横浜ランドマークタワー」のある横浜港に面したエリア(中区)に広がる地区。 そして、横浜駅東口周辺の「出島地区」、「横浜ランドマークタワー」を中心にしたオフィス開発がメインの「中央地区」、観光客に人気の「赤レンガ倉庫」や「コスモワールド」がある「新港地区」があります。 今でこそ「みなとみらい地区」は一体化 … 車の修理、なんでそんな高いの?「ペイントブル横浜旭」ならディーラーよりも安く早く修理できるって本当? 鉄棒がさびしげに立っているここは児童公園、それとも空き地?30年続く保土ケ谷区和田町の土地問題に迫る!, 2015年8月から使える2000円の割り増しが付いた横浜市のオリジナル商品券ってなに?. 宅地建物取引士・損害保険募集人資格 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 中古マンション売買アプリ「カウル」を提供する「Housmart(ハウスマート)」が、購入や売却に必要な基礎知識・ノウハウ、資産価値の高い中古マンションの物件情報詳細、ディベロッパーや街などの不動産情報をお届けします。. (Amazonランキング・ベストセラー1位), みなとみらい地区は、「そごう横浜店」や「スカイビル」のある横浜駅東口(西区)から、「横浜ランドマークタワー」のある横浜港に面したエリア(中区)に広がる地区。, そして、横浜駅東口周辺の「出島地区」、「横浜ランドマークタワー」を中心にしたオフィス開発がメインの「中央地区」、観光客に人気の「赤レンガ倉庫」や「コスモワールド」がある「新港地区」があります。, 今でこそ「みなとみらい地区」は一体化されていますが、以前は桜木町を境に横浜駅周辺エリアとビジネス街である関内エリアの二つに分かれていました。, というのも、横浜駅と関内駅の間にある桜木町には三菱重工株式会社横浜造船所があり、この広大な土地が二つのエリアを分断していたのです。, 当時の横浜は東京のベットタウンという色彩が強く、横浜市内の就業人口を増やすという行政の思惑もあって、桜木町周辺の再開発が急務になっていました。, そして、船の大型化の流れによって設備が対応できなくなったこともあり、造船所を移転させてこの地区を再開発し、横浜の都市機能を高めようというプロジェクトが構想されたというわけです。, 東急東横線は高島町駅を経由して桜木町駅が終点で、関内や中華街、元町へは直通ではいけませんでした。中華街や元町へは、JR京浜東北線の石川町駅から歩いて行くしかなかったのです。, 極端にアクセスが悪いというわけではありませんでしたが、それぞれが別々の街という印象が強かったわけです。MM21計画には、この二つのエリアを一体化させることによって、横浜市中心部の都市機能を強化拡充させる目的がありました。, まず1985年に「そごう横浜店」が横浜東口に開業し、1989年に本牧埠頭と大黒埠頭を結ぶ長さ860メートルの「横浜ベイブリッジ」が開通。, 大黒埠頭側には遊歩道「横浜スカイウォーク」があり、デートスポットとしても人気のある横浜の新名所になりました(横浜スカイウォークは現在では閉鎖)。また、同年に横浜港をテーマにした「横浜みなと博物館」が開館。 増改築からメンテナンスまで、住まいのことならなんでもおまかせ「システムショップはぎわら 金沢文庫店」, 放課後はアメリカへ!ネイティブ講師が教える学童機能付き英会話スクール「キッズパスポート」, 証拠を掴んで新たなスタートを目指すなら、横浜駅東口徒歩9分の浮気調査専門探偵社「調べ屋本舗」. 今でこそ発展著しい「みなとみらい」エリアですが、そこに至る過程には長く厳しい道のりがありました。「みなとみらい」の基本構想である“MM21計画”が事業としてスタートしたのは1983年(昭和58年)で、今から30年以上も前なのです。, 1991年から1993(平成3~5年)に於けるバブル崩壊時期、そして2008年のリーマン・ショックなどの影響を受け事業の先行きが心配された時期もありました。今回は、そんな「みなとみらい」の苦難の歴史をご紹介します。, 株式会社Housmart 代表取締役 結婚相談所はモテない人の集まりじゃなかった! 3‐3 桜木町駅舎移動問題と東急廃線問題が野毛地区にもたらしたもの 第4 章 野毛地区振興策の見直しとみなとみらい21 との共存共栄 4‐1. 野毛地区振興策の見直し 4‐2. 家族の健康を大切にしたお部屋探しなら「有限会社アーク・ケイ」, 車内防犯カメラを初採用!相鉄・JR直通専用新型車両「12000系」が2019年春デビュー. 横浜市港湾局のある産業貿易センタービル 出迎えてくださったのは、賑わい振興課長の鈴木明広(すずき・あきひろ)さん(残念ながら顔写真はNG)。開口一番、まず鈴木さんから言われたのが「私どもが管理している公園では、すべてスケボーは危険行為として禁止しております」との言葉。 スケボーは公園内での「危険行為」として禁じているという しかし、それでも「やはり海を望む景観が人気なのか、公園内でスケボーに乗っている人がいると、ほかの利用者からの通報もたびたび寄せられる」と話 … みなとみらい21地区が誕生して30年あまり・・・今やみなとみらいは横浜で一番の観光エリアにまで成長しました。 ランドマークタワー、インターコンチネンタルホテル、コスモクロック、赤レンガ倉庫・・・今の横浜の観光名所やシンボルがこのエリアにこれでもかと凝縮しています。 人間力を重視し将来に役立つ力を育てる年中~小学生のサッカースクール。仲間と楽しみながら基礎技術向上! 「ファースト商会」と「プリンス商会」こそ「横須賀」のスカジャンである。ネットや店でよく目にする機会が... 家系総本山「吉村家」創業者、吉村実氏にインタビュー。今の家系ラーメン業界について何を思う?, また、スケボーを含め、自転車の乗り入れや、ノーリードでの犬の散歩といった「危険行為」がないか、毎日、警備員や職員が公園内を巡回(時には警察官を伴うことも)。, 「巡回中にスケボーに乗っている人がいれば厳重に注意し、もし、その方が施設を壊したとハッキリ分かれば、もちろん弁償もしていただきます。でも、24時間ずっと広い園内を見張り続けるのは現実的に難しい。やはり自衛策が中心となってしまうのです」という。, 最後に「先にもお伝えしましたが、私どもで管理している公園でのスケボーは一切禁止です。そう告知はしていても、利用者も多く、一人に注意しても、また別の方が来てスケボーに乗っているというケースも少なくありません。皆さんに安心して公園を使っていくためには、根気強く伝えていくしかないと思っています」と語った鈴木さん。, 「みなとみらい地区は街全体が新しく、バリアフリー化も進んでいます。そのため舗道は平らで歩きやすく、また広く設計されているため、スケボーをしやすいのかもしれません」と話す高村さん。ただし「ここで管理している公園でも、スケボーは一切禁止となっている」という。, それでも「公園内でスケボーをする人はいなくならない」という高村さん。「今は禁止行為であることをきちんと掲示する、また、園内でスケボーを“させない”ように自衛するなど、やれる範囲での対策を行っています」, その時の決断について高村さんは「本当に切なかったです。加工してしまったら、もう元に戻すことはできないわけですから・・・」と残念そうに振り返る。, 「やはり公園は24時間365日、誰でも使えるようにしたい」と話す高村さん。「夜間や早朝しか公園を利用できない人もいますし、健康づくり推進という面でも、公園利用時間に制限をかけるのは望ましくないと思います」という。, 「でも・・・」と、高村さんは続ける。「2010(平成22)年6月に、新横浜にスケートボードの専用パーク(新横浜公園内のスケート広場)がオープンしたのも、みなさんからの要望の高まりによるものだと思うんですね。ですから、そういったニーズがさらに高まれば、公園に限らず新たなスポットが誕生する可能性はあると思います」と話す。. みなとみらいエリアは「買い物も便利で子育てもしやすい」という意見が聞かれるなか「子どもが小学校や中学校に入る年になったら引っ越すかも」と話す人が4人中2人もいて驚いた。 「新しく学校ができるのでは?」と期待している人はおらず、もともと私立の学校にするか、数年後には引っ越す予定で入居する人が少なくないのかもしれない。 1991年には「横浜国際平和会議場」通称“パシフィコ横浜”が竣工し、帆船のようなデザインで知られる「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」が開業。, そして、1993年(平成5年)には「みなとみらい」のシンボルである「横浜ランドマークタワー」が開業しました。, しかしこの時点では、横浜駅東口から関内や横浜港周辺エリアまでのアクセス状況は以前と変わらず、二分されたままでした。「みなとみらい」の苦悩の歴史は、この頃から始まったのです。, 悲劇の大きな要因となったのは、「横浜ランドマークタワー」が開業したのがバブル崩壊直後だったこと。, バブル崩壊による景気悪化の煽りを受け、テナントの入居をキャンセルする企業が相次ぎました。それに加えてバブル景気の最中に設定された同ビルのテナント料が高額だったので、なかなか借り手がつかなかったのです。, 「横浜ランドマークタワー」の事業主は、三菱グループの大地主である三菱地所。ということで、犠牲?になったのは横浜周辺にある三菱グループの企業とその関係会社でした。, 当時、三菱商事の横浜支店は関内にあり、当初は「横浜ラウウドマークタワー」に入居する予定はなかったそうです。しかし、テナントの入居状況が思わしくないということで、半ば強制的な感じで支店ごと移動することに。, さすがの三菱商事もバブル崩壊直後だったので、経費削減のためにオフィスの什器は一切新調することなく、それまで使っていた机や椅子などの什器を持って引っ越したそうです。三菱グループの中核企業である三菱商事でさえそうなのですから、その他のグループ会社や関連会社はさぞかし大変だったことが想像できます。, この一件が象徴するように、“MM21計画”は、バブル崩壊による影響で深刻な状況に陥っていたのです。資金面などの理由で中止になった開発計画も数件あり、暫くの間は手付かずの空き地が目立つ状態が続きました。一時は、この計画そのものが頓挫してしまうのではないかと心配する声もあったくらいです。, 「横浜ランドマークタワー」や周辺のビルは、三菱重工業横浜造船所の跡地に建てられています。そのせいかどうかは分かりませんが、地中には瓦礫(通常ガラ)が沢山埋まっていたようなのです。, ここでの杭打ちは、先端がスクリュー型をしているオーガドリルで掘削してH鋼を打ち込む掘削系の工法。しかし地中には瓦礫が多いので、なかなか思うようにオーガドリルが入っていかず、時にはドリルの先端が破損することもありました。, そして掘削した穴にH鋼を入れてセメントで固めるのですが、これもまたスムーズに入ってくれず、何度もH鋼を入れなおして打ち込むことも少なくありませんでした。, ここで心配になるのが、H鋼がちゃんと支持層に到達しているのかということですよね。これについては安心して頂ければと思います。そう言い切れる根拠は、二つあります。, 一つ目の根拠は、重機のオペレーターや現場作業員たちは「誇り」を持って仕事をする「職人」だったという点です。職人であるオーガドリルのオペレーターは、掘削時の感触で地中の様子が分かるのです。, そして、誇りを持った職人は、決して中途半端な妥協はしません。図面がどうであれ、自分が納得いくところまで堀進めるのです。, そういったオペレーターの感覚を、全ての作業員が理解し共有して仕事をしていました。つまり予算や工期より、仕事の品質を優先していたのです。, 二つ目の根拠は、杭を撃ちこむのに苦労するほど硬い「瓦礫」が埋まっていたということ。, そこに速乾性の高いセメントミルクを当初の予定より多く使っているので、結果的に強固な地盤になったというわけです。ということで、基礎については心配する必要はないでしょう。, そもそも「みなとみらい」エリアはウォーターフロントの再開発地域ですから、その多くは埋立地です。ということであれば、このエリアの地盤はどうなのか気になりますよね。, ちなみに横浜港に面した「山下公園」は、関東大震災で倒壊した建物などの「瓦礫」を埋めて造られた公園です。, 前出の造船所跡地で杭打ちをした工事関係者達の間では、MM21地区一帯の地中にも関東大震災の「瓦礫」が埋められているのではないかと噂されていました。, 事実のほどは分かりませんが、もしかしたら、そういうこともあったかもしれません。造船所解体の折に出た瓦礫も埋められている可能性も一方的に否定することはできません。, もしそうであるなら、しっかりした基礎工事が施されていれば地盤は硬いということになります。しかしこの周辺一帯に「瓦礫」が埋められていたなら、どのエリアでも杭打ち工事は大変だったでしょう。, ただ、「みなとみらいエリア」における「瓦礫」については、科学的根拠や公的な資料による裏付けがあるわけではありません。あくまでも噂話と想像の範囲です。, 三菱重工業株式会社横浜造船所は、1983年(昭和58年)に本牧と金沢区に移転され、その後に1号ドックは1985年(昭和60年)にメモリアルパークとして整備され帆船の「日本丸」が展示されています。, そして2号ドックは、1993年(平成5年)に「横浜ランドマークタワー」の開業に合わせてイベント開催やオープンテラスとして活用される「ドックヤードガーデン」に生まれ変わりました。, これらのドックは、商船用の石造りドックとして日本で最も古いもので、国の重要文化財に指定されている歴史ある建造物です。, いずれのドックも、今や横浜「みなとみらい」の観光名所であり、ドラマのシーンにもよく出てくる魅惑的なデートスポットにもなっていますよね。, 造船所のドックもそうですが、赤レンガ倉庫も新しい感性を注ぎ込まれて生まれ変わった建造物です。赤レンガ倉庫は、税関の手続きが済んでいない輸入物資を保管する「保税倉庫」として建設されました。, 1911年(明治44年)に竣工した2号倉庫、そして1913年(大正2年)に竣工した1号倉庫は、日本初の荷物用エレベーターやスプリンクラー、防火扉などの最新設備がある建物でした。, その後、赤レンガ倉庫は終戦の1945年(昭和20年)に連合国に接収され、1956年(昭和31年)に解除されて日本に返還され再び保管庫として使用されるようになりました。, しかし貨物のコンテナ化によって他の埠頭に主役の座を奪われ、1975年(昭和50年)頃には貨物の取扱量が激減し、平成元年からは使われないまま放置されていました。, その後も国の施設として管理されていましたが、1992年(平成4年)に横浜市が赤レンガ倉庫の土地と建物を取得して保存活用をすることになりました。, そして約9年の歳月をかけた保存、修復工事が終了し、2002年(平成14年)に新たな横浜のシンボルとして蘇ったのです。1号館は展示スペースなどの文化施設、2号館はレストランや各種ショップといったテナントが入った商業施設です。, 以前から映画やドラマのロケで外観が使われて話題になっていましたが、2002年(平成14年)にリニューアルされて、ようやく一般の人が利用できるようになりました。, みなとみらい線が開通する前は、中華街や元町へのアクセス手段はJR根岸線か車しかありませんでした。最寄りの駅は石川町なのですが、決して近い距離ではありません。といって車で行っても、道は狭いし駐車場が少ないという状況でした。, 山下公園や港が見える丘公園へも、けっこうな距離があって歩くのが大変でした。そういったアクセスの悪さが、みなとみらい線の開通によって大幅に改善されました。, 中華街や元町が近くなっただけではなく、昔からの高級住宅街であった「山手エリア」へのアクセスも良くなったのです。今では「みなとみらい」はもちろん、「山手エリア」の人口も増加しているようですね。, 1983年(昭和58年)に事業がスタートしてから32年の月日が流れ、様々な紆余曲折を経て今の「みなとみらい」があります。一時期話題になった横浜のマンションの傾斜問題後も変わらず人気の街でしたが、「住みたい街」として脚光を浴びる背景には、「みなとみらい」の存在が大きく影響を及ぼしています。. 『会社四季報』編集部、『週刊東洋経済』副編集長、メガバンク・地方銀行担当記者を経て2016年4月よりニュース編集部副編集長として『週刊東洋経済』や「東洋経済オンライン」のニュース記事を編集, 「平成バブル崩壊後、開発が停滞した。2000年代後半は公募をかけても手を挙げる会社があまりなかった」と振り返るのは、横浜市都市整備局みなとみらい21推進課長の遠藤拓也氏だ。, 横浜駅から桜木町駅の東側臨海部に位置する「みなとみらい21」(MM21)地区では、三菱重工業横浜造船所が1983年に移転した跡地の開発計画が、横浜市主導で進められている。足かけ36年になる。土地利用面積は186ヘクタール、東京ドーム約40個分に及ぶ。, 平成バブル景気とその余熱で、90年代前半までは新施設が続々と完成した。しかし、バブル崩壊で停滞。その後も大型マンションの計画は進むものの、オフィスの計画は思うように決まらなかった。, その苦境を救ったのが、09年にオープンした日産自動車グローバル本社だった。「東京・銀座の世界的自動車メーカー本社の引っ越し先は横浜」ということで企業への宣伝効果は抜群。以後、「開発街区の公募をかけると、多くの企業が応じてくれるようになった」(遠藤氏)という。, 開発の進捗率は19年1月時点で90%。さらに3月28日、敷地面積約2ヘクタールの53街区(下図左上、新高島駅前)の開発計画が決まり、進捗率は93%に達した。53街区はオフィス、ホテル、オープンイノベーションスペースなどからなる大型複合ビル。大手ゼネコン大林組を代表企業に、京浜急行電鉄、日鉄興和不動産、ヤマハの4社が、23年竣工予定で開発する。「横浜駅からも近く規模も大きい。音楽に強いヤマハと小ホールなども造り、MM21のさらなるにぎわいを創出したい」(大林組開発推進第三部長の鈴木敬一氏)。, みなとみらい21地区の再開発は、足かけ36年におよび現在も進行中(gandhi / PIXTA). 「気功」ってなんか怪しくない?はまれぽが確かめるべく、山手の気功整体院「Mahã」に直撃取材! みなとみらい21 との共存共栄 終章 ウォーターフロントの再開発計画が果たす役割 参考文献 豊富な経験をもとに不動産や相続の悩み解決をサポート。明るく前向きな社会づくりの活動にも注目! それからというもの、物音が大きかったり、食事をしている最中に揉め事があったり、情緒不安定な人が部屋で物を投げてみんなを驚かせたりと問題が多かったです。