2.6 昭和42年(1967年)第18回. 2.3 昭和39年(1964年)第15回. 紅白歌合戦の視聴率について今回はまとめました。 歴代最高視聴率は1963年の81.6%となっています。 紅白歌合戦の視聴率は下がり気味とは言っても、他の番組を凌駕するほど高く、国民的な番組であることには変わりありません。 今後の紅白歌合戦はどんな視聴率を記録するのでしょうか! 2 歴代視聴率の推移. 年末になるに連れて盛り上がってくるのが紅白歌合戦ですよね。 毎年紅白歌合戦はものすごい視聴率となります。 国民的番組と言ってもおかしくないでしょう。 11月に紅白歌合戦に出場する歌手と司会者が発表されます。 紅白歌合戦の出場者と司会者の発表も盛り上がりますよね。, 紅白歌合戦に出場することは多くの歌手の夢でもあるでしょう。 基本的には1年間でヒット曲を出さなくては紅白歌合戦には出場できません。 出場したくても出場できない歌手の人がほとんどです。 それだけ見ている人も多いですからね。 紅白歌合戦の視聴率の歴代ってどのぐらいなのでしょうか。 紅白歌合戦の最高視聴率や歌手別についても知らべてみました。, 紅白歌合戦の視聴率は毎回高いことで知られています。 国民的番組と言ってもいいですからね。 最も注目の大きい歌番組なので視聴率も高くなりますよね。, 紅白歌合戦は様々な年代やジャンルの歌手が出場するのも視聴率が高い理由でしょう。 昔は演歌歌手の人が多く出場していましたが、 最近では紅白歌合戦の出場者でも演歌歌手は半数程度です。, 年々演歌歌手の出場者は減っている傾向にあります。 日本の音楽が多様化しているので、 紅白歌合戦に出場する歌手も様々なジャンルになりました。, 紅白歌合戦の視聴率ですが高いというのは知っています。 しかしどれほどの視聴率をとっているのか気になりますよね。 NHKで紅白歌合戦が放送されている時間帯と同じ時間帯の民放の番組は、 わざと日付や時間をずらすほどですからね。, 逆にここ数年はあえて紅白歌合戦の放送時間に主力の番組を当てることもあります。 しかし視聴率で見ると紅白歌合戦の方が高いんです。 それほど紅白歌合戦の視聴率は群を抜いているということですね。, 以下が紅白歌合戦の視聴率の歴代の記録になります。 記録が残っているのは1962年の第13回からになります。 また1989年の第40回からは2部制になっています。, 上述したように紅白歌合戦の視聴率はものすごい高いものとなっています。 テレビ離れが騒がれている現在ですが、 それでも35%を軽く超えている視聴率ですからね。 これほどまで高視聴率な番組は紅白歌合戦意外ないでしょう。 しかも毎年のことです。, 紅白歌合戦は1960年台と1970年台は脅威の視聴率です。 70%超えは当たり前で80%以上の視聴率のときもあります。 つまり殆どの人が大晦日に紅白歌合戦を見ていたということになりますね。, この時代は紅白歌合戦意外に面白いと思える番組が少なかったのかもしれません。 テレビ番組だけで娯楽が少なかったですからね。 現在ではインターネットやゲームもありますし、 民放のテレビ番組も力を入れています。, 紅白歌合戦の最高視聴率となっているのは1963年の第14回です。 この時の視聴率は81.4%を記録しています。 紅白歌合戦の最高視聴率というか日本のテレビの最高視聴率です。, 第14回の紅白歌合戦が歴代最高視聴率となっているのですが、 瞬間最高視聴率はこの年の85.3%です。 五月みどりさんが「一週間に十日来い」の歌唱中になります。, それにしても紅白歌合戦の最高視聴率81.4%というのはすごいですね。 そんな視聴率の数字を実際見たことはありません。 本当に大人気番組だという証拠ですね。, これからの時代では紅白歌合戦の最高視聴率を超える番組はでないでしょう。 テレビ自体がそこまで見られていませんからね。 今後もこの記録は実質破られることのない記録です。, ちなみに紅白歌合戦の最高視聴率2位は1972年の第23回の80.6%です。 紅白歌合戦の最高視聴率3位は1962年の第13回の80.4%になります。 紅白歌合戦の最高視聴率は3位までが80%を超えているんです。 4位以降も75%を超えている状態ですからね。 本当に紅白歌合戦は国民的番組ということがわかります。, 紅白歌合戦の視聴率は番組が進行していく毎に上がっていく傾向があります。 フィナーレに近づくと視聴率が上がるんです。 ですから前半に出場する歌手よりも後半に出場する歌手の方が視聴率がよくなります。, やはり紅白歌合戦は大トリを誰が歌うのかっていうのと、 赤と白どちらが勝つのかっていうのが気になりますからね。 大晦日に忙しい人も多いと思いますが、 時間が深くなることによりゆっくり紅白歌合戦を見ようという人も多いのでしょう。, 紅白歌合戦の視聴率が全体的に高いのはわかりましたが歌手別ではどうなのでしょうか。 2000年以降の紅白歌合戦の歌手別の最高視聴率トップ3を調べてみました。 その結果SMAPはやはりすごいんだなっていうのがわかりましたよー。, 紅白歌合戦は毎年高視聴率を獲得することで知られています。 民放も紅白歌合戦には視聴率争いで勝てないと思っている時期もあったようです。 その証拠に元々紅白歌合戦の裏番組で放送していた番組を、 別の日に変えるという措置を取りましたからね。, しかし最近では紅白歌合戦の視聴率に負けない番組作りをしています。 その成果が現れた瞬間があるんです。 なんと紅白歌合戦の放送中に4分間だけですが視聴率を超えた番組がありました。, それは2003年の大晦日です。 毎年恒例の紅白歌合戦が放送されていました。 その裏番組として放送されたのがTBSの「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite! 2.7 昭和43年(1968年)第19回. 2.4 昭和40年(1965年)第16回. !」の視聴率が上回ったんです。 これは歴史的なことですよね。, 紅白歌合戦の視聴率はものすごいものですが、 民放の裏番組でも紅白歌合戦の視聴率を上回ることができるということが証明された瞬間です。 さすがに平均視聴率では紅白歌合戦にはおよびませんが、 可能性を感じる4分間となったはずです。, この後は紅白歌合戦が放送されている時間帯でも、 各民放の放送局が視聴率を取ろうとさまざまな企画を放送しています。 いつの日か紅白歌合戦の視聴率を完全に超える日がくるかもしれませんね。, 紅白歌合戦の視聴率の歴代についてでした。 紅白歌合戦の最高視聴率あ歌手別の視聴率についても紹介しました。 やはり紅白歌合戦はものすごい番組だということがわかりますね。, しかし紅白歌合戦の視聴率を数分間だけでも超える番組が民放にはあります。 これは意外だったかもしれません。 それほど紅白歌合戦は国民的番組で見ている人が多いですからね。, 紅白歌合戦の視聴率は毎年高いのですが、 徐々に落ちているとも見ることができます。 テレビを見る人が減ってきたのも理由の1つでしょう。, 今年の紅白歌合戦はどのぐらいの視聴率となるのでしょうか。 民放の番組がどこまで紅白歌合戦の視聴率を奪えるのかも見所ですね。. 2.1 昭和37年(1962年)第13回. 2.2 昭和38年(1963年)第14回. 紅白歌合戦の視聴率は毎回高いことで知られています。 国民的番組と言ってもいいですからね。 最も注目の大きい歌番組なので視聴率も高くなりますよね。 紅白歌合戦は様々な年代やジャンルの歌手が出場するのも視聴率が高い理由でしょう。 昔は演歌歌手の人が多く出場していましたが、 最近では紅白歌合戦の出場者でも演歌歌手は半数程度です。 年々演歌歌手の出場者は減っている傾向にあります。 日本の音楽が多様化して … (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 終戦直後の昭和20年(1945年)、「新時代に相応しい歌番組を作ろう」という考えのもと、大晦日に「紅白音楽試合」というラジオ番組が放送されました。, 剣道の紅白試合を念頭に置き、娯楽の要素も取り入れた番組を制作しようとし、当初は「紅白音楽合戦」という番組名だったのですがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から「敗戦国がバトル(合戦)とは何事だ」と指摘され、バトル(合戦)からマッチ(試合)に変更しました。, その後昭和26年(1951年)1月3日に、正月番組としてラジオで「第1回NHK紅白歌合戦」が放送されました。, この時は1時間番組で、出演者は紅白それぞれ7組でしたが大変好評で、昭和27年の第2回、昭和28年の第3回は90分番組になり、それぞれ12組が出場しました。, 大晦日に定着した理由ですが、当時、大規模な会場は年末年始では大晦日しか開いていなかったことが一因とされています。, その後、テレビがカラーになったことで、出場歌手の衣装やスタジオセットが色鮮やかになり、特に紅組は衣装を重視するようになったそうです。, その後も、時代に合わせた演出を取り入れ、その年活躍した人や翌年の活躍を期待する人に審査員をしてもらったり、会場から中継をして別の場所にいる国内外のアーティストに出演してもらったりと、試行錯誤を繰り返しながら現在に至っています。, 第12回までは、視聴率調査が行われていませんので、第13回からの視聴率を調べてみましょう。(関東地方での視聴率です), この年から視聴率調査が始まりました。植木等さん、吉永小百合さんなど14組が初出場でした。, 翌年(1964年)の東京オリンピックを意識し、渥美清さんが聖火ランナーとして入場しました。, これまでは男女それぞれ一人ずつ司会がいましたが、この年から総合司会が加わり、3人体制になりました。, アポロ11号が月面着陸をした年です。その時通訳として活躍した西山千氏がヒューストンからのメッセージを同時通訳しました。, 翌年(1972年)に札幌オリンピックが開催されることから、選手村との中継を行いました。, 宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」が大ブームになった年で、会場には月組が登場しました。, 白組司会の加山雄三さんが、初出場だった少年隊の「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」と紹介し、話題を呼びました。, オペラ、ミュージカル、ジャズ、民謡・・・昭和最後の紅白は、バラエティーに富んでいました。, この年から、2部構成になりました。1部では「思い出のメロディ」を、2部ではこれまで通りその年にヒットした曲でした。, 福山雅治さんが初出場を果たしました。また、Jリーグ開幕の年でもあり、サッカーコーナーが設けられました。, 60回となる記念大会で、還暦を迎えた矢沢永吉さんがサプライズゲストで登場しました。また、嵐が初出場を果たしました。, 令和最初の紅白歌合戦ということや、AIの美空ひばりさんが出場するなど、話題になりました。, ここ数年は40%を超えればいいかな・・・という感じですが、昔と比べて大晦日に家でテレビを観る人が減ったことや、ほかの番組を観る人が増えたことなど、いろいろな理由があるのでしょう。, 時代に合わせて変化している紅白歌合戦、今後も老若男女が楽しめる番組として頑張ってほしいですね!, […] 出典紅白歌合戦の歴史と由来とは?歴代視聴率の推移 | 日本文化研究ブログ … […]. 1 紅白歌合戦の歴史と由来とは?. フト視聴率番組10, 視聴率をご覧いただく際の注意事é, > 特定サイト等の接触測定について, 放送分数15分未満の番組は除いております。, レギュラー番組で、同一局の同一番組名のものが2番組以上ある場合には最も高い視聴率データのみを掲載しています。この際に、同率が複数日ある場合には、ひとつの番組として扱い、当該曜日をすべて併記します。ただし再放送は本放送とは別扱いにしています。, 帯番組などが複数日で同率の場合、最初の放送日の番組名、開始時刻、放送分数のみ掲載しています。, 番組名の後ろの「/他」は地上デジタル放送の最も若いサービスIDチャンネルと異なる放送が別のサービスIDで放送していることを表しています。. などなど、昭和26年(1951年)に始まったNHKの紅白歌合戦に思い入れのある方もいらっしゃるかもしれません。, 女性アーティストを紅組、男性アーティストを白組に、時には海外アーティストも参加する国民的人気番組ですね。. 2.5 昭和41年(1966年)第17回. (注) 放送分数15分未満の番組は除いております。 レギュラー番組で、同一局の同一番組名のものが2番組以上ある場合には最も高い視聴率データのみを掲載しています。 !」です。, 当時は空前のK-1ブームでしたからね。 年越しの格闘技イベントとして放送されました。 対戦カードはボブ・サップ対曙です。 一番の目玉の試合でした。, 23時00分から23時03分の間の4分間ではありますが、 紅白歌合戦より「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!