錦織 圭 atp世界ランキング36位 5歳でテニスを始め、2001年5月、全国選抜ジュニア選手権で優勝。同年7月全国小学生大会、8月全日本ジュニア12歳以下で優勝し、史上5人目となる全国制覇3冠… He’s a very talented player. 2009年12月末時点で順位は418位まで落ち込みました……。, 翌年復帰しますが、2010年12月末時点の順位は98位です。 ですが今も現役でプレーしていますし、 錦織圭(にしこりけい)は、プロテニスプレーヤー。島根県松江市出身。1989年12月29日生まれ。 父と、4つ年上の姉と共に5歳の頃テニスを始めた。その後スクールへ通い始め、小学4年生で全国小学生テニス選手権大会に中国地方代表として出場。 そのうえこの年は世界ランキング5位になりました! (ちなみに松岡修造の自己最高ランキングは46位です。先に言うと錦織圭はこの記録を抜きます。), “He is going to be top 10 for sure, top five. | 日清焼そば | ラ王 | ラーメン屋さん | ごんぶと | Spa王 | 麺職人 | GoFan | カレーメシ | GooTa | やきそばできました。 | JALですかい, 安藤百福発明記念館 (カップヌードルミュージアム)〈大阪池田 | 横浜〉 | 日清都カントリークラブ過去:日清パワーステーション, イガグリくん | 少年発明王 | 負けるな!ビンちゃん | 西部の対決 | 地上最大のクイズ | ヘッケルとマイティ(ヘッケルとジャッケル | マイティ・マウス) | ちびっこのどじまん | うたえちびっこ!ガッテンだ! 一気に順位を上げてきましたが、それでも物足りなさを感じてしまいます。. まずは、テニスに興味を持ってもらうことが大切です。 日本人テニスプレイヤーとして数々の記録を塗り替えてきた選手です。, そして実績ですが、 バルセロナ・オープン・バンコ・サバデルでは準々決勝まで進出。世界ランク20位のフェルナンド・ベルダスコとの対戦中、腹筋を痛め途中棄権。回復に1ヶ月ほどかかると診断され、その後の全仏オープンの欠場を余儀なくされた。, その後エキシビションマッチで復帰。レイトン・ヒューイットやマーディ・フィッシュとの対戦で手応えを掴んだ後、ウィンブルドン選手権に第19シードとして出場。 シティ・オープン終了後、右足親指の故障のため、同じく全米前哨戦のロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンを欠場して親指の嚢胞手術をし治療に専念した[32]。, 治療明けで出場した全米オープンでは、1回戦でウェイン・オデスニクに6-2, 6-4, 6-2で勝利、2回戦でパブロ・アンドゥハールに6-4, 6-1(第3セットは相手が棄権)で勝利した時点で4大大会通算33勝となり、佐藤次郎が持っていた日本人男子記録を更新した[33]。3回戦は第23シードのレオナルド・マイエルに6-4, 6-2, 6-3でストレート勝ちし、初出場であった2008年大会以来6年ぶり2度目のベスト16進出が決定[34]。4回戦では第5シードのラオニッチを4-6, 7-6(4), 6-7(6), 7-5, 6-4のフルセットの末に下し、全米オープンでは自身初、日本人男子選手では1922年の清水善造以来92年ぶりのベスト8進出を決めた[35]。ナイトセッションで行われたこの試合の試合時間は4時間19分に渡り、終了時刻は全米オープン史上最も遅い午前2時26分であった[36]。準々決勝も試合時間4時間15分の2試合連続フルセットの末に第3シードのスタン・ワウリンカを3-6, 7-5, 7-6(7), 6-7(5), 6-4で下し、4大大会では自身初、日本人男子選手としては1918年の熊谷一弥以来96年ぶり、4大大会でも1933年ウィンブルドン選手権の佐藤次郎以来81年ぶりとなるベスト4進出を決めた[37][38]。準決勝では世界ランク1位のノバク・ジョコビッチを相手に、6-4, 1-6, 7-6(4), 6-3で勝利し、シングルスでは男女通じて日本人初、男子に限ればアジア出身選手初のグランドスラム決勝進出を果たす。(なお、アジア系外国人という解釈まで広げれば、冒頭の記載の通り、台湾系米国人のマイケル・チャンが、グランドスラムの全仏オープン優勝(史上最年少)、全米オープン準優勝、全豪オープン準優勝と、グランドスラムのうち3大会での初の決勝進出と、うち全仏オープンの優勝を果たしている)。その決勝は第14シードのマリン・チリッチと対戦したが3-6, 3-6, 3-6のストレートで敗退。優勝は逃したものの、自身が同年5月に記録したアジア出身男子選手の世界ランク最高位記録9位を超え8位以上となることが確定した[39][40]。, 全米オープン後、初のツアー大会となったマレーシア・オープン・クアラルンプールでは第1シードで出場。順当に決勝まで勝ち進み、決勝では第4シードのジュリアン・ベネトー相手に7-6(4), 6-4で勝利、大会初優勝またシーズン3勝目、ツアー通算6勝目を達成し、翌週に発表されたランキングでは自己最高位を更新する7位に浮上した。, そして、初の2週連続優勝がかかった母国開催の楽天ジャパン・オープンでは初戦からシード勢が次々と敗退していくなか、第4シードの錦織は1セットも落とさず準決勝に進出。その準決勝ではベンヤミン・ベッカーに4-6, 6-0, 7-6(2)で勝利し決勝に進出。決勝では第3シードのラオニッチと今季4度目の対戦。7-6(5), 4-6, 6-4で勝って2年ぶり2度目の優勝を果たした。これによりマレーシア・オープン・クアラルンプールから2週連続の大会制覇となり日本男女を含めても初の快挙となり10月6日発表の自己の世界ランキングを再び更新する6位となった。, 10月、上海マスターズの怪我と連日の疲れからバレンシア・オープンも欠場し、迎えたBNPパリバ・マスターズ準々決勝では第4シードのフェレールと対戦し、3-6, 7-6(5), 6-4で勝利して大会初のベスト4進出。そして、2014年ATPレース・ランキングにおいて、グランドスラム準優勝、マスターズ1000準優勝とベスト4が2回、500シリーズ優勝2回に250シリーズ優勝2回など合計4625ポイント獲得し、世界第5位の成績でアジア出身男子初のATPワールドツアー・ファイナルズ出場が決まった。, 11月のATPワールドツアー・ファイナルズはナダルが欠場したため第4シードで出場。ラウンドロビンB組第1戦では、過去の対戦で1度も勝利がなかったアンディ・マリーに6-4, 6-4で初勝利。第2戦ではフェデラーに3-6, 2-6で敗れたものの、フェレール(第8シードのラオニッチの棄権による代替出場)に4-6, 6-4, 6-1で勝利し、B組2位で準決勝に進出。準決勝ではA組を3戦全勝で1位通過した世界ランキング1位ノバク・ジョコビッチと対戦。この大会全試合ストレート勝ちしていたジョコビッチから1セットをとり健闘したが、1-6, 6-3, 0-6で敗れファイナルズ初出場での決勝進出とはならなかった。ATPの年間最終ランキングはジョコビッチ、フェデラー、ナダル、ワウリンカに次ぐ自己最高の5位。, この結果、シーズン通算54勝14敗(勝率.794)で年内の世界ランキング5位が確定。2014年の獲得賞金額は443万9218ドルで世界6位となる[41]。また、2014年シーズンのセカンドサーブリターンポイント獲得率53%、リターンゲーム勝率28%がツアー6位にランクインされた[42]。, 1月、ブリスベン国際ではアレクサンドル・ドルゴポロフとダブルスに出場し、ダブルスでは初のATPツアー決勝進出を果たした。(結果は準優勝) 第2シードで出場したシングルスではベスト4に進出。全豪オープンは第5シードで臨み、ニコラス・アルマグロ、イワン・ドディグ、スティーブ・ジョンソン、フェレールを倒し全豪では3年ぶり2度目、4大大会では3度目のベスト8に進出。落としたセットを2つに抑えた好調な試合を続けていたが、昨年全豪覇者のスタン・ワウリンカに3-6, 4-6, 6-7(6)でストレート負けを喫し、自身初の全豪オープンベスト4入りはならなかった。, 2月、メンフィス・オープンでは決勝までの全ての試合を逆転勝ちしたが、決勝ではケビン・アンダーソンを6-4, 6-4のストレートで下して自身初(大会としても初めて)の3連覇を果たした。アビエルト・メキシコ・テルセルでは1回戦でアレハンドロ・ゴンサレスに勝利し、ATPツアー通算200勝を挙げた。準決勝では世界ランク15位で第4シードのケビン・アンダーソンに勝利し決勝進出。この時点で3月2日発表の世界ランキングで自己最高の4位になることが確定した。決勝戦では大会前から発症していたインフルエンザの影響もあり第2シードのフェレールに3-6, 5-7のストレートで負け、フェレールへの連勝記録も5で止まる形になってしまった。, 3月、デビスカップワールドグループ1回戦カナダ戦はシングルス2試合に出場しバセク・ポスピシル、ラオニッチに勝利するも、日本チームは2勝3敗で敗退した。3月18日、BNPパリバ・オープンでは自己大会記録の4回戦に進出するもフェリシアーノ・ロペスに敗れた。3月24日から始まるマイアミ・オープンではフェデラーが欠場のためマスターズ1000では自身初となる第4シードでの出場となった。準々決勝まで進出するもジョン・イスナーに敗れた。, 4月、前回優勝したバルセロナ・オープンでは第1シードで出場。決勝でパブロ・アンドゥハルに勝利し2連覇。また、ATPツアー優勝9回はクルム伊達公子を抜き日本人最多記録。5月、前回準優勝のマドリード・オープンではフェレールらを破りベスト4に進出するもマリーに敗れた。BNLイタリア国際では初の準々決勝に進出するが第1シードジョコビッチに3-6, 6-3, 1-6で敗れた。, 全仏オープンは第5シードで出場。4回戦でティムラズ・ガバシュビリに勝利し、全仏男子シングルスで日本人としては1933年の佐藤次郎以来82年ぶりの準々決勝進出を果たした。準々決勝では第4シードのトマーシュ・ベルディハを倒して勝ち上がってきた第14シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガに1-6, 4-6, 6-4, 6-3, 3-6の4時間に及ぶフルセットで敗れ、自身初の全仏ベスト4とはならなかった。6月10日、フォーブスが発表する「世界で最も稼ぐスポーツ選手」2015年版ランキングで92位にランクインした(1950万ドル, 約23億円)。日本人では田中将大(58位)に次ぐ2位[43]。6月22日、獲得賞金ランキングが発表され1,914,692ドル(約2億3千万円)で前回と同じく7位となった。 全仏オープン後の初戦となったゲリー・ウェバー・オープンではロジャー・フェデラーに次ぐ第2シードとして出場。準々決勝でのイェジ・ヤノビッチ戦でフルセットの末勝ち上がりはしたものの、左ふくらはぎの筋膜炎を試合後に発症させ、準決勝でのアンドレアス・セッピ戦で第1セット1-4となったところで棄権を申し入れた。そして、体調を不安視されて迎えたウィンブルドン選手権では日本男子、そして自身最高位の第5シードで出場し、初戦のシモーネ・ボレッリを3時間超のフルセットで下した。この勝利により、松岡修造の持つウィンブルドン選手権での通算7勝を更新して日本人歴代最多記録とし、同時に生涯獲得賞金としてもアジア選手初の1,000万ドル(約12億円)突破を果たした。同大会2回戦はサンティアゴ・ヒラルドとの対戦であったが、負傷箇所が悪化して棄権を申し入れた。なお、アジアの国出身ではないものの、アジア系外国人の選手の間では、アジア系(台湾系)米国人のマイケル・チャンが、初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破を果たした。, 怪我明けのシティ・オープンでは第2シードとして出場、準決勝で前年の全米オープンの決勝で敗れたチリッチに3-6, 6–1, 6-4で勝利し、雪辱を果たした。また決勝では、同年のマイアミ・オープン準々決勝で敗れたイスナーに4-6, 6-4, 6-4で勝利し、雪辱を果たし、シティ・オープン初優勝を飾った。この勝利により8月10日発表の世界ランキングで自己最高タイの4位に復帰した。ロジャーズ・カップでは第4シードで出場し、準々決勝で過去0勝7敗のナダルに6-2, 6-4のストレートで初勝利を飾る。しかし準決勝でマリーには連戦の疲労蓄積で左臀部を痛めた影響もあり3-6, 0-6で敗れ、そのため翌週のウエスタン・アンド・サザン・オープンは全米オープンを見越し体力回復を努めるため欠場した。そのウエスタン・アンド・サザン・オープンでスタン・ワウリンカがジョコビッチに敗れたため、全米オープンでグランドスラムでは日本人初となる第4シードが確定した[44]。しかしながら自身も好調と語り臨んだ全米オープンでは、初戦でブノワ・ペールに対して、2度のマッチポイントを握りながらも4-6, 6-3, 6-4, 6-7(6), 4-6とまさかの敗戦。前年度に準優勝した大会で、初日に初戦敗退という結果となってしまった[45]。, 9月、デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフのコロンビア戦に自身初の最年長として選出された。18日のシングルス第2戦ではアレハンドロ・ファジャに7-6, 7-6, 7-5で勝利。19日に行われたダブルスを落として後がなくなった日本であったが、20日のシングルスで錦織とダニエル太郎が勝利してワールドグループ残留を果たした。, 連覇を目指した楽天ジャパン・オープンでは準決勝に進出するも、再びブノワ・ペールに敗れた。上海マスターズでは3回戦でケビン・アンダーソンに敗れた。スイス・インドアは肩の怪我のため欠場したが、同大会でレースランキング9位のリシャール・ガスケがナダルに敗れ、ポイントで錦織を上回れなくなったため、2年連続のATPワールドツアー・ファイナルズ出場が決まった。翌週のBNPパリバ・マスターズでは3回戦で過去5戦全敗のガスケと対戦。6-7(3), 1-4の第2セット第6ゲーム途中で棄権。対ガスケ初勝利はまたしてもならなかった。, 11月、2年連続出場のATPワールドツアー・ファイナルズでは、初戦でジョコビッチに1-6, 1-6で完敗した。第2戦ではトマーシュ・ベルディハに7-5, 3-6, 6-3で2時間23分の激戦を制した。最終戦ではフェデラーから第2セットで1-4から5ゲーム連取して第2セットを取るなど、2時間10分の大接戦を繰り広げるも5-7, 6-4, 4-6で敗れ、準決勝進出はならず今シーズンが終了した。年間最終ランキングは8位。, シーズン終了後にATPの公式サイトで行われた投票によって、8月のロジャース・カップ3回戦のダビド・ゴファン戦でのゴファンの頭上を抜いた股抜きロブが2015年のベストプレーに選出された[46]。, 年初のブリスベン国際では単複両方に出場。シングルスでは第2シードで出場し、準々決勝でバーナード・トミックに3-6, 6-1, 3-6で敗れた。タブルスでは同大会で3年ぶりにグリゴール・ディミトロフと組んで参戦。準々決勝に進出し、2015年全米オープン優勝ペアのエルベール/マユ組に4-6, 6-1, [10-7]で勝利し2年連続で準決勝に進出したが、準決勝は棄権した。, 全豪オープンには第7シードで出場。4回戦でツォンガに6-4, 6-2, 6-4で初めてのストレート勝ちで快勝し2年連続の準々決勝進出。この試合で全豪通算20勝目をあげ、日本人男女通じて最多となった[47]。準々決勝ではジョコビッチに3-6, 2-6, 4-6で敗れた。, 2月のメンフィス・オープンでは決勝で18歳の若手のテイラー・フリッツを6-4, 6-4で破り大会初の4連覇を達成。2週間後のメキシコ・オープンでは2回戦でクエリーに4-6, 3-6で敗れた。デビスカップでは1回戦で前年優勝国のイギリス代表と対戦。第2戦でダニエル・エバンスに6-3, 7-5, 7-6(3)で勝利。第4戦ではマリーと対戦し、第1,2セットを連取されるも、第3,4セットを取り返しフルセットへ持ち込んだ。しかし、第5セットを取られ、5-7, 6-7(6), 6-3, 6-4, 3-6の4時間54分で敗れた。, 3月のBNPパリバ・オープンでは4回戦で地元のジョン・イスナーを1-6, 7-6(2), 7-6(5)で破り、初の準々決勝進出。準々決勝でラファエル・ナダルと対戦し、4-6, 3-6で敗れた。続くマイアミ・オープンでは準々決勝でガエル・モンフィスに5度のマッチポイントを握られながら、4-6, 6-3, 7-6(3)の接戦を制し、2年ぶりのベスト4進出。準決勝でニック・キリオスに6-3, 7-5で勝利し、自身2度目のマスターズ決勝に進出。決勝でノバク・ジョコビッチと対戦し3-6, 3-6で敗れ、マスターズ初優勝はならなかった。, 4月のバルセロナ・オープンでは準決勝で2015年全米オープン、ジャパン・オープンで連敗していたブノワ・ペールに6-3, 6-2で勝利し、3年連続の決勝進出を果たす。決勝ではナダルに4-6, 5-7で敗れ、3連覇はならなかった。, 5月のマドリード・オープンでは過去6戦全敗のリシャール・ガスケに苦戦しながらも6-4, 7-5で初勝利を挙げ、同大会4年連続のベスト8入りを果たす。準々決勝ではキリオスとの6-7(6), 7-6(1), 6-3の2時間38分の激戦に勝利し、3年連続のベスト4進出を果たす。準決勝でジョコビッチに3-6, 6-7(4)で敗れた。翌週のBNLイタリア国際では3回戦で再びガスケに6-1, 6-4で連勝すると、準々決勝でドミニク・ティームに6-3, 7-5で勝利し、イタリア国際では初めてベスト4進出を果たす。準決勝でジョコビッチから1年ぶりにセットを取るも、6-2, 4-6, 6-7(5)で惜敗した。全仏オープンでは3回戦でフェルナンド・ベルダスコに6-3, 6-4, 3-6, 2-6, 6-4のフルセットで勝利したが、4回戦でガスケに4-6, 2-6, 6-4, 4-6で敗れ、ベスト8を逃した。, 6月、芝シーズンに入ってのゲリー・ウェバー・オープンでは初戦リュカ・プイユに勝利するも2回戦は脇腹の痛みのため試合前に棄権した。翌週エキジビジョンでリシャール・ガスケに6-2, 6-1で勝利[48]。ウィンブルドン選手権では1回戦で脇腹についてメディカル・タイムアウトを取るも、その後は順調に勝ち上がり、2年ぶりに4回戦進出。4回戦ではチリッチと対戦したが、脇腹の痛みが悪化し第2セット途中で棄権した。, 7月、怪我明けのロジャーズ・カップでは、準決勝でスタン・ワウリンカを7-6(6), 6-1で破り、当シーズン2度目のマスターズの決勝進出を果たした。決勝ではジョコビッチに3-6, 5-7で敗れた。, 8月、リオデジャネイロオリンピックではシングルスでロンドンオリンピックに続きベスト8入りすると、準々決勝でモンフィスとの2時間53分の死闘を7-6(4), 4-6, 7-6(6)で制しベスト4に進出。続く準決勝ではマリーに1-6, 4-6で敗れたものの、3位決定戦でナダルと対戦し、フルセットの末6-2, 6-7(1), 6-3で制して銅メダルを獲得した。オリンピックテニス競技での日本人によるメダルは、1920年のアントワープオリンピックで熊谷一弥が銀メダルを単・複で2つ(ダブルスは柏尾誠一郎と)獲得して以来、実に96年ぶりの快挙となる。翌週のウエスタン・アンド・サザン・オープンでは3回戦でバーナード・トミックに6-7(1), 6-7(5)で敗れた。ロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンでの成績によって、全米オープンシリーズで85ポイント獲得し、初優勝を果たした[49]。, 9月、全米オープンでは2年ぶりにベスト8に進出。準々決勝ではマリーと3時間57分の激戦の末、1-6, 6-4, 4-6, 6-1, 7-5で勝利し、グランドスラムで2年ぶりのベスト4進出を果たす。準決勝ではスタン・ワウリンカに6-4, 5-7, 4-6, 2-6で敗れ、決勝進出はならなかった。大会後のランキングで1年ぶりに5位に復帰する。デビスカップワールドグループ・プレーオフのウクライナ戦では第3試合のダブルスに杉田祐一と組んで出場。スミルノフ/スタホフスキー組に6-3, 6-0, 6-3で勝利し、日本のワールドグループ残留に貢献した。, 10月の楽天ジャパン・オープンでは2回戦で臀部の負傷で棄権し、翌週の上海マスターズも欠場した。なお、同月には3年連続のATPワールドツアー・ファイナルズへの出場決定。スイス・インドアで復帰すると、準々決勝で過去4戦全敗のフアン・マルティン・デル・ポトロに7-5, 6-4で初勝利を挙げた。その後決勝に進出するもチリッチに1-6, 6-7(5)で敗れ、準優勝となったが世界ランキングで自己最高の4位に復帰を果たした。BNPパリバ・マスターズでは2回戦でビクトル・トロイツキに勝利しツアー通算300勝を達成[50]。3回戦でツォンガに2度のマッチポイントを握るも、6-0, 3-6, 6-7(3)で惜敗した。, 3度目の出場となるATPワールドツアー・ファイナルズには第5シードで出場。初戦はワウリンカに6-2, 6-3で快勝。2戦目のマリー戦では7-6, 4-6, 4-6の3時間20分の接戦の末敗れた。第3戦を前に準決勝進出が確定。第3戦ではチリッチに6-3, 2-6, 3-6で敗れた。2年ぶりの準決勝ではジョコビッチに1-6, 1-6で敗れた。年間最終ランキングは5位。また、年間勝利数においてはマリーの69勝、ジョコビッチの63勝に次ぐ、3位の58勝という位置につけて同シーズンを終えた。, 年初のブリスベン国際では単複両方に出場した。ダブルスではドミニク・ティームとペアを組み、1回戦で2016年ATPワールドツアー・ファイナルズで優勝ペアの第2シードコンティネン/ピアーズ組を1-6, 6-3, [12-10]で破り準々決勝に進出したが、準々決勝でミュラー/クエリー組に敗れた。シングルスでは準決勝でワウリンカを7-6(3), 6-3で破り決勝に進出。決勝ではグリゴール・ディミトロフに2-6, 6-2, 3-6で敗れ、準優勝となった。, 全豪オープンには第5シードで出場。4回戦でロジャー・フェデラーとグランドスラムで初めて対戦。フルセットの末7-6(4), 4-6, 1-6, 6-4, 3-6で敗れた。アルゼンチン・オープンでは決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフに6-7(4), 4-6で敗れ準優勝。翌週のリオ・オープンでは初戦で世界ランキング76位のトマス・ベルッシに4-6, 3-6のストレートで敗れた。第2シードとして出場したBNPパリバ・オープンではジャック・ソックに、マイアミ・オープンではファビオ・フォニーニにどちらも準々決勝で敗れベスト8で終わった。, ムチュア・マドリード・オープンでは3回戦でダビド・フェレールに勝利。しかし次のノバク・ジョコビッチ戦を前に手首の痛みを理由に棄権した。BNLイタリア国際では2回戦でまたもフェレールを破るが、3回戦でフアン・マルティン・デル・ポトロに6-7, 3-6で敗退した。全仏オープンでは3回戦で鄭現との第4セットの途中で雨で試合中断となり次の日に持ち越しとなった。この試合はフルセットで勝利している。続く4回戦はフェルナンド・ベルダスコに第1セットを0-6で奪われるもののその後逆転、最終ゲームは6-0で勝利した。2年ぶりの準々決勝では世界ランキング1位のアンディ・マリーに6-2, 1-6, 6-7, 1-6で敗れてベスト8敗退となった。, ウィンブルドン選手権の前哨戦にあたるゲリー・ウェバー・オープンでは2回戦で腰に違和感を訴えて途中棄権し体調が心配されたが、ウィンブルドン選手権では1回戦をストレート勝ちした。しかし、3回戦で対戦成績5戦5勝のロベルト・バウティスタ・アグートに4-6, 7-6, 6-3, 3-6で敗れ、2年連続の4回戦進出はならなかった。シティ・オープンでは2回戦でデルポトロに6-4, 7-5で2度目の勝利、リベンジを果たす。しかし準決勝では第5シードの若手アレクサンダー・ズベレフに初めての敗退を喫した。ロジャーズ・カップでは2回戦でこれまで全勝のガエル・モンフィスに敗退。この試合は後にATPが2017年の大逆転勝利ベスト5マッチの第2位として選定した。, その後再び手首の痛みを訴え、ウエスタン・アンド・サザン・オープンを欠場。検査の結果尺側手根伸筋腱の部分断裂と診断され、全米オープンを含めた今後の2017年シーズン全休を発表[51]。これはジョコビッチ、ワウリンカに次ぎTOP10のうち3人目の全休発表であった。年最終ランキングは22位に後退。, 前年からの怪我の影響でエントリーしていたブリスベン国際、シドニー国際の欠場を発表。更に1月4日、全豪オープンについて、公式アプリで「リハビリは順調だが、5セットマッチを戦い抜く準備はまだ100%はできていない」とのコメントを発表し、欠場の意向を明らかにした[52]。, 1月23日、ATPチャレンジャーツアーのニューポートビーチで第1シードとして出場し復帰戦に挑む。しかし1回戦で世界ランキング238位のデニス・ノビコフにフルセットの末敗退し、黒星での復帰戦となった。翌週、再びチャレンジャーツアーのRBCテニスチャンピオンシップス・オブ・ダラスに出場し1回戦でノビコフに対しストレート勝利でリベンジに成功。決勝では、マッケンジー・マクドナルドとの初対戦をストレートで制し7年ぶりのATPチャレンジャーツアー優勝となった。, 2月、ニューヨーク・オープンで第5シードとしてATPツアーに半年ぶりの復帰。ベスト4に入ったものの準決勝で第1シードのケビン・アンダーソンに1-6, 6-3, 6-7で敗れた。メキシコ・オープンでは初戦でデニス・シャポバロフとの初対戦に敗れた。BNPパリバ・オープンでは初戦の前に風邪による棄権を発表した。マイアミ・オープンでは第5シードフアン・マルティン・デル・ポトロとの3回戦にストレートで敗退した。, 6年ぶりのモンテカルロ・マスターズではノーシードでの出場となったが、1回戦で第12シード・世界ランキング18位トマーシュ・ベルディハに勝利し1年3ヶ月ぶりの対トップ20勝利を成し遂げ、そのまま準々決勝に進出。準々決勝では第2シードマリン・チリッチ、準決勝では第3シードアレクサンダー・ズベレフといった強豪をフルセットで倒し、2016年ロジャーズ・カップ以来となるマスターズ1000決勝進出。決勝では第1シードラファエル・ナダルに3-6, 2-6で敗れたが、復活を印象付ける大会となった。しかしムチュア・マドリード・オープンでは初戦でノバク・ジョコビッチと対戦し敗北、対ジョコビッチ11連敗を喫することとなった。BNLイタリア国際では2回戦で第3シードのグリゴール・ディミトロフをフルセットの末破ったが、準々決勝でまたしてもジョコビッチに敗れた。全仏オープンでは2回戦でブノワ・ペールに先に2セットを奪われるも、フルセットで勝利。3回戦でジル・シモンに6-3, 6-1, 6-3で完勝した。4回戦で第7シードのドミニク・ティームに2-6, 0-6, 7-5, 4-6で敗れた。, ウィンブルドン選手権では、第24シードで出場し、3回戦で第15シードニック・キリオスにストレートで圧勝。さらに4回戦で元世界10位のエルネスツ・グルビスを4-6, 7-6(5), 7-6(10), 6-1で破り、自身初のウィンブルドンベスト8、これで全ての四大大会でのベスト8を達成。しかし準々決勝ではジョコビッチに3-6, 6-3, 2-6, 2-6で敗れた。シティ・オープンでは準々決勝でA・ズベレフに敗れた。ロジャーズ・カップでは初戦でロビン・ハーセにペースを崩され敗れ、続くウエスタン・アンド・サザン・オープンでは復帰して間もない元世界3位のワウリンカに敗れた。それでも2年ぶりとなる全米オープンでは、準々決勝で第7シードのチリッチを2-6, 6-4, 7-6(5), 4-6, 6-4のフルセットで破りベスト4入りした。準決勝ではジョコビッチに3-6, 4-6, 2-6で敗れた。, その後は第1シードでモゼール・オープンに出場。準決勝で予選から勝ち上がってきたドイツのマティアス・バッヒンガーに6-2, 4-6, 5-7で敗れた。2年ぶりの出場となった楽天ジャパンオープンの準々決勝では世界ランキング15位のステファノス・チチパスとの初対戦となったが、6-3, 6-3のストレートで勝利。準決勝はハードコートでは全敗であったガスケに7-6(2), 6-1とこちらもストレート勝ちして、1セットも落とさずに決勝へ進出したが、決勝ではダニール・メドベージェフに2-6, 4-6で敗れ、2016年メンフィス・オープン以来となるATPツアーの優勝はならなかった。続く上海マスターズでは準々決勝へ進出。準々決勝で大会連覇を狙う世界ランキング2位ロジャー・フェデラーとの対戦になったが、4-6, 6-7(4)で敗れ、2011年以来の上海でのベスト4入りはならなかった (またこの試合で、錦織の全仏オープンから続いていたタイブレークでの連勝が12で止まった)。, エルステ・バンク・オープンでは準々決勝で第1シード・世界ランク7位のティームに6-3, 6-1で圧勝するなど好調な勝ち上がりで決勝に進出するが第2シードのアンダーソンに敗れ準優勝となった。パリ・マスターズではアンダーソンをストレートで下しベスト8に入り、翌週の世界ランク9位を決定させ、1年以上ぶりのトップ10に復帰した。さらに、デルポトロの怪我による棄権で、繰り上げでNitto ATPファイナルズに4度目の出場を決めた。しかしこの大会では不調が続き、初戦でロジャー・フェデラーから4年半ぶりの勝利を掴んだものの第二戦、第三戦はそれぞれアンダーソン、ティームに完敗し、準決勝進出はならなかった。年間最終ランキングは9位。12月には、エキシビションマッチであるハワイ・オープンに出場し、クリスチャン・ハリソンとミロシュ・ラオニッチを破って優勝した。, 1月のブリスベン国際では、第2シードとして出場し、決勝で第4シードのダニール・メドベージェフに6-4, 3-6, 6-2で勝利し、2016年のメンフィス・オープン以来3年ぶりにATPツアーでタイトルを掴んだ。全豪オープンでは、2回戦イボ・カルロビッチ戦、4回戦パブロ・カレーニョ・ブスタ戦と2度、今大会から導入された最終セットの10点先取のスーパータイブレークを制し、3年ぶり4度目のベスト8進出を果たした。4回戦の試合時間5時間5分は自己最長であり、今大会の最長試合となった。準々決勝ではノバク・ジョコビッチに対して第2セット途中棄権で敗退となった。, 初参戦となったABNアムロ世界テニス・トーナメントでは準決勝まで進出したが、準決勝ではスタン・ワウリンカに2-6, 6-4, 4-6のフルセットで敗れた。その後は4大会連続早期敗退となるも、過去2度の優勝を誇るバルセロナ・オープンでは、5大会ぶりに準決勝へ駒を進めた。準決勝では、ダニル・メドベージェフに4-6, 6-3, 5-7のフルセットで敗れた。, 全仏オープンでは、3回戦ラスロ・ジェレ戦を4時間26分の6-4, 6-7, 6-3, 4-6, 8-6、4回戦ブノワ・ペール戦では、前の試合が長引いたことも影響し2日がかりの試合となったが、これを6-2, 6-7, 6-2, (ここでサスペンデッド), 6-7, 7-5で勝利し、グランドスラムでは去年のウィンブルドンから4大会連続のベスト8進出となった。しかし準々決勝ではラファエル・ナダルに1-6, 1-6, 3-6で敗退。自身初の全仏ベスト4はならなかった。, 芝シーズンに突入するも、出場を予定していたノベンティ・オープンを右上腕部の痛みを理由に欠場した。前哨戦となったエキシビジョンのアスポール・テニス・クラシックでリュカ・プイユを7-5, 7-6(4)で破った。ウィンブルドン選手権では3回戦でスティーブ・ジョンソンに勝利しツアー通算400勝を達成。4回戦のミハイル・ククシュキン戦で今大会初めてセットを失うものの、6-3, 3-6, 6-3, 6-4で勝利。ウィンブルドンで2年連続のベスト8進出でありグランドスラム5大会連続ベスト8以上という快挙を成し遂げた。準々決勝では芝の王者ロジャー・フェデラーへ挑み、1セットを奪う健闘を見せるも6-4, 1-6, 4-6, 4-6で敗退しウィンブルドン初のベスト4はならなかった。, 月末の出場を予定していたシティ・オープンは欠場の判断をした。全仏オープンのナダル戦以降常にテーピングをしていた右上腕部の大事をとってのためだった。, ロジャーズ・カップは2回戦敗退。さらに続くウエスタン・アンド・サザン・オープンでも初戦の2回戦で、西岡良仁との日本人対決に6-7(2), 4-6で敗退。大本番となる全米オープンを、前哨戦で勝利を挙げられずに挑むことになった。全米オープンでは鬼門の奇数年で、自身初めて勝利を挙げたものの[53]、3回戦で20歳の新星アレックス・デミノーとの初対戦で2-6, 4-6, 6-2, 3-6と苦杯を喫した。これでシンシナティに続いて、初対戦で対TOP10初勝利を献上する形となった。, 9月、右上腕の違和感を取り除くため、ジャパンオープンを含むアジアシーズンの欠場を発表。また、10月には約9年続いたダンテ・ボッティーニとのコーチ関係を解消[54]。さらに右肘の手術を受けることを発表し、2019年の残りシーズンを全休することになった[55]。10月28日発表の最新ランキングでは11位に後退し、約1年ぶりにTOP10から陥落した。年間最終ランキングでは13位まで後退。, 術後はリハビリを経て11月に初めてラケットを握った様子を公開、そしてその月末に新コーチとしてマックス・ミルヌイを迎えることを発表した。[56], 2月のデビスカップで3年半ぶりにメンバー入りしたが、出場はなかった。その後は新型コロナウイルス感染症流行の影響でツアーが中断。再開後のウエスタン・アンド・サザン・オープンを復帰戦に予定していたが、8月16日に自身の新型コロナ感染検査の陽性を発表。同21日の再検査でも陽性だったため、大会欠場となった。また、3度目の検査で陰性になったが、準備が間に合わないとして全米オープンも欠場した[57]。, 9月のオーストリア・オープンで約1年ぶりのツアー復帰を果たすも、1回戦でミオミル・ケツマノビッチに敗れた[58]。, 世界屈指と言われるリターン、足の速さ、スイングスピードを持つオフェンシブ・ベースライナー。最終セットの勝率に関しては、2014年は87.5%(21勝3敗、うち5セットでは4勝0敗)、キャリアを通しても79.8%で、歴代選手トップの記録を誇る[59][60]。, バリエーション豊かなショットと相手との間合いを詰めた速い返球で、相手の考える時間、予備動作の時間、スイングの準備時間をどんどん奪っていく。ストロークを重ねるごとに有利な形を作り出し、後手に回った相手を精神的に追い詰めていく[61]。, ライジングなどの早いタイミングのショットを多用する速攻、様子の探り合いを省略したスピード決戦で浅いボールを見逃さず前に出て打ち込んでいく。また、ほとんどベースラインから下がらず、多くのボールを早いタイミングで処理することで、自分の守備エリアを狭めると同時に相手の時間を奪い、攻撃的にプレーしている[10]。, フットワークと予測力を活かしたコートカバーリングにも優れており、遠くのボールに追いつき、カウンターショットを決めることができる[62]。正確で多彩なバックハンドショットも大きな武器となっている。2014年『ニューヨークタイムズ』誌に掲載された「識者たちが選ぶショット別ベストプレイヤー」では、「ベスト・ダブルバックハンド」部門で4位に食い込んだ[63]。新たなウイニングショットとも言える、バックスピンをかけたドロップショットも武器。サービスリターンではベースライン上から鋭く一歩前に踏み出し、強烈なダウンザラインでリターンエースやウィナーを奪う[64]。他の選手と比べ、身長が低い弱点を補うため、フォアハンドでチャンスボールをジャンプして打つ強打を得意としている。このショットは「エア・ケイ」と呼ばれ、錦織の代名詞となっている。, 2014年の全米では4時間以上のフルセットマッチを2度続けて戦うなど体力面も進化している[10]。長年サービスの迫力不足を指摘されてきたが、2015年に入ってスピードが出やすいラケットを採用、フォームもマイケル・チャン指導のもと改良した[65]。, 錦織とラオニッチはしばしばライバル関係にあるとされる[66]。グローブ・アンド・メールによると、錦織は「判断力とスピード」を強みとし、ラオニッチは「体格とサーブ」を強みとしており[67]、タイプや得意なサーフェスはまるで異なる。しかし同じ2008年にプロ転向し、どちらもそれぞれの国で初めてトップ10にランクインした。グランドスラムとマスターズの最高成績はともに準優勝である。, 対戦成績は錦織が5勝2敗とリードしているものの、7試合中5試合でフルセットまでもつれており[68]、プレイした25セットのうち、10セットはタイブレークに突入している。2014年の全米オープン4回戦は、試合時間4時間19分で試合終了時刻は午前2時26分となり、大会史上最も遅い時間まで戦われた試合の一つになった[69]。, チリッチとは15回対戦し、成績は錦織が9勝6敗とリードしている[70]。しかしキャリアを通じて最も重要な試合といえる2014年全米オープンの決勝では敗れている。, チリッチはボブ・ブレッドの指導を長らく受けており、ブレッドは錦織の指導者の一人である松岡修造の恩師でもある[71]。, フェレールとは14回対戦し、成績は錦織の10勝4敗[72]。2008年全米オープンで初対戦し、錦織が初めて5セットマッチでトップ10の選手に勝利した試合になった。その後、2011年から2013年の間の対戦ではフェレールが3度ストレート勝ちを収めた。2012年ロンドン五輪では錦織が勝利。2014年には錦織が4連勝し、2015年全豪オープンでも錦織が勝利した。同年のメキシコ・オープンの決勝ではフェレールが勝利し、連敗を止めた。以降は錦織が連勝している。, 錦織はフェレールについて「自分のライバルであり、模範であり、小さい頃から目指すべき選手だった。」と発言している[73]。.